すしの歴史

お寿司の発祥地は

そもそもお寿司は保存食として古くは東南アジアが発祥地とされ中国大陸の内陸部に於いて(一説には紀元前三・四世紀頃)貴重な蛋白源として特に塩を振った川魚を米飯(米飯から発生する澱粉)と一緒に漬け込んで醗酵させて出来た乳酸菌で腐れを防いで長期間食したものと記録には在りますがこれが即ち熟れ寿司と呼ばれた物の様です。

歴史

日本に寿司が持ち込まれた歴史も又古く室町時代とも奈良時代とも言われ一説には今から1200年以前に仏教の伝来とともに渡来したものと言われていますが日本に持ち込まれた寿司もやはり米の澱粉から発生する乳酸菌で魚を保存した物でしたので当然米はもっと粘りの有るドロドロとした物の様でしたが時代とともに色々と工夫が施され醸造酢を使った熟れ寿司から、姿寿司、やバッテラ、海苔巻き、稲荷寿司、バラ寿司、等の祭りや節句 又 冠婚葬用にその地方の土地柄を反映した御馳走として重宝されて来ました。

この様に変化を重ねて来た寿司が今風の寿司に定着したのはごく最近の事で特に付け台(カウンター)形式に成ったのは明治維新以降とされており色々な説も在りますが1800年代前期から1850年代(文政年間)に掛けて花屋選与兵衛と言う人が当時相模湾から房総沖の江戸湾(東京湾)で取れた魚を薄く削いで握り飯の上に乗せて屋台で売ったのが江戸前鮨の発祥だと言う説が一番信憑性が有るように思われます。

   現代風変りずし                

昭和も終わり平成と成って寿司も又変化を重ねています、 昭和50年代には私達の住んでいるアメリカ・カルフォルニア州ではSushi・Barと呼ばれる日本食レストランはほんの数える程しか存在しませんでしたが今現在ここ北カルフォルニアだけでも500軒以上の寿司屋と呼ばれるレストランが在りますがアメリカでの寿司戦争が日本の寿司業界に対して変化をもたらしている事は事実であり決して過言ではないと思います。

 

過去には限定されいた食材も技術とテクノロジーの進歩に伴いカルフォルニアロールと呼ばれる巻き寿司に代表される様にアボカド・キウィー・苺・アスパラガス・レタス等のフルーツや野菜類を使ったり蟹・ソフトシェルクラブ・スモークサーモン又はスモークサーモンの皮やマヨネーズ・チリソースの様な新しい食材を使い海苔を内側にシャリを表にして巻く裏巻き寿司等々何れもアメリカでの寿司戦争の副産物が日本に持ち込まれた事は疑う余地の在りません。